沿革


< 仙台二高吹奏楽部と二吹会の沿革 >

                            

1955年(昭和30年) 吹奏楽部同好会発足 → 部に昇格   

1956年(昭和31年) 小野指導員就任(~1974年(昭和49年))

(この間、高10~16回卒業生を中心にブラバンOB会を開催していた)

2003年(平成15年) 第3回復活ブラバンOB会開催

             ・当時の部長であった武田氏(現幹事)が現役として初参加

             ・現幹事長の但木氏(高22回卒)が初参加

2005年(平成17年) 創部50周年記念OB演奏会を挙行

             52名のOBと現役生が参加  

             指揮者:藤岡 恭(1984~1996年 顧問)

                 水口俊彦(高29回卒 二吹会メンバー)

                 内藤淳一(高27回卒-軟式野球部OB             

                 保科雅巳(高35回卒 二吹会メンバー)

                 高橋伸哉(高33回卒 二吹会メンバー)

                 持田 亮(当時の顧問)

                 小野義徳(初代音楽監督)

 

2007年(平成19年) 二吹会発足,第1回二吹会総会・懇親会を挙行

2015年(平成27年) 創部60周年記念・第28回定期演奏会開催

             それを祝した第2回二吹会総会・懇親会を挙行

(現在に至る)

 

 

 

                                       「仙台二高吹奏楽部発足とその足跡(覚え書き)」

                                                                  秋山宏好氏、小野義徳氏、仙台二中二高百年史などから(2015.05.23)

発足前後の時代背景

 ①昭和21年5月20日,復興記念~中二中対抗野球大会第一回戦(復活第一回対一高定期戦)

 ②昭和那年4月,新制高等学校の発足。            【第八代・田淵正範校長~S24.10.10,】

 ③昭和25年4月,創立50周年記念式典(校舎の戦災復旧工事完了)。

 ④昭和30 住舗励年5月,創立誌周年記念式典(北陵会館落成)。県下高総体三連覇から四連覇達成を目指した年にあって、復活第十回対一高定期戦           の勝利を目指し、「吹奏楽同好会」が発足、定期戦は一勝二敗で敗れるも、高校総体四連覇が達成された(昭和29年入学、昭和羽年卒業の高9

        回生今井克彦氏(アルトホルン・指揮)が二年生在学時とのこと)。(なお、高9回卒で今井氏と同期にあたる尾形実兄の記憶も合致)

 ⑤後に生徒総会で「部」への昇格が承認された(昭和29年入学、高10回生秋山宏好氏(吹奏楽部の生い立ちより)【第九代・山下忠校長S31.930.】

楽器調達と指導者選任の背景

 ①昭和30年~昭和31年、二人の同窓生の物心両面からのご支援があって初めて楽器類の調達が成された。その御仁とは、旧制二中35回生亀掛川

  守氏(胃腸科開業)と大河内進氏(第一楽器社長)の両先輩である。亀掛川氏は私財より100万円(現在の約1,000万円相当か)を、また大河内氏は一

  番町で営んでいた楽器店主として、楽器の購入・調達に奔走された(亀掛川氏の令孃と大河内の甥で後に社長を継がれた鋭一氏(高3回生、昭

  和26年卒)の奥様からの伝聞より)。

 ②初代の顧問である結城光太郎教諭(数学、昭和27年4月~昭和32年5月在籍)にはこの楽器調達と、指導者(運動部にあってはコーチまたは監督

  に当たるため、ここでは音楽監督と呼称する)の選任・着任にご尽力を頂いた。しかしながらその経緯については、前出の秋山宏好氏と音楽監

  督ご本人との記憶に若干の乖離がみられるが、今となってはやむを得まい。

   秋山氏は、「初めの方は片平丁の裁判所勤務の長谷氏であったが、そのご指導は週一回士曜日のみと云う二とで部員が満足せず、早急に次

  の指導者の選任を顧問に依頼した。その結果、小野義徳氏に早い時期に来て頂いた」と語っている。一方、小野義徳先生によれば、大阪から

  日本楽器仙台所長として縁あって仙台へ来られた後、第一楽器店が近隣であったことから、大河内社長ご子急、の栄一氏ほか店員の指導に当

  たっていた。また、ご自身が海軍軍楽隊出身の大阪市音楽団員であったこともあり、NHK仙台放送局の管弦楽団指揮者であった前出の長谷峰

  治氏を良くご存じであった。なおかつ、日本の吹奏楽連盟の中で、東北地方、なかんずく宮城県はレベルアップが求められていた時代であっ

  たため、南光学園・東北高等学校吹奏楽部の指導者を務める傍ら、気仙沼など県内の学校の指導に当たっておられたとのこと。その頃、結城

  光太郎先生と秋山氏が第一楽器店に度々相談に来られたのを受けて、吹奏楽連盟の指導の一環として暑い夏の最中、広瀬川河原で練習中の二

  高吹奏楽部の練習に立ち会った。それを切っ掛けに、二高校長室へご来校の上、正式に音楽監督をお引き受けになられたと伺った。【第十

  代・勝股朝頼校長 S31.10.5.~S363.31.】

  従って、小野先生の任期については、創部50周年記念OB演奏会のCD目次に記載の昭和33年ー昭和48年は始期(終期についても後述の通

  り)に誤謬があると考えられる。結城光太郎顧問の在任時期から勘案すれば、昭和31(1956)年の秋が始期と考えられる。

小野音楽監督:

   前述の経緯から、小野義徳先生には、実質的な初代音楽監督として我々をご指導頂くこととなった。その間、特筆すべきことは創部6年目

  と云う早い時期の昭和36 (1961)年に、全日本吹奏楽コンクール宮城県大会・ Aクラスの部に於いて我等が吹奏楽部(部員は高14回・15回

  ・16回生)を優勝に導かれ、同年秋の青森市で行われた東北大会へ臨むことになったことである。東北大会では、随意曲としてべートーベン

  作曲「Egmont序曲」を演奏したが、惜しくも第三位に甘んじる結果であった (仙台二中二高百史 p.161「第七章昭和中期」生徒会誌「造型

  14号:吹奏楽部・・・高校吹奏楽コンクール県優勝・東北三,位」との掲載あり)【第十一代・小圷洋校長 S36.4.1.~S43.3,31.】

   先生の音楽監督としての終期についてであるが、先生のご記憶によると、現職のまま急逝された【第十二代・小針寿一校長~S49.1.20,】の

  学校葬がしめやかに挙行された年の文化祭頃とのこと故、昭和49 (1974)年とすることとした。従って、小野義徳先生は、その在任期間である

  昭和31(1956)年~昭和49 (1974)年と、18年もの長きにわたって二高吹奏楽部の基礎造りにご尽力頂いた。ここに記して、改めて謝意を表する

  ものである。

   なお、小野先生には、創部50周年記念OB演奏会(2005年10見)の3rdstage後半において指揮をお執り頂いたが、御年81歳とのことであっ

  た。先生の在任期間に部員であったOB達は、しばしば先生をOB会にお招きして旧交を温めているが、直近では二吹会正式発足後の2012 (平

  成24)年7月15日に、「二吹会有志による小野先生を囲む会」を仙台市内のホテル白萩に於いて挙行した。    

                                                               以上

                                              【文責:二吹会副会長尾形正裕(高14回)】